ブッダになれるかな?


モントレーから日本に帰ってきて、かれこれ7年近くがたってた、本当は1年以内に旅行でもいいので、一度戻ろうと思っていたのだけれど。時間がたつにつれて、「また留学したい」とい思いは薄れて、それと比例するように「やるべきこと」や「やりたい」と思ったことをなんとなくしてた。気づくと29才、日本で仕事をして、それなりの期間がたって、やっている仕事にもそれなりの自信をもてるようになってきた、けれどモントレーにいた頃と比べると、ずいぶん視野が狭くなったとも思う。ちょうど、ゴールデンウィークの後に、会社規定で有給を一週間とっていたのもあって、思い立つ、いやそれは後々のことを考えると、第一の思し召しだった。


そうだ。モントレーいこう。


元来、しっかりさんの私は、事前に航空券の情報や知人の都合を確認して、これまたすんなりとパズルが埋まっていくように、前向きな情報があつまってきた、もうこれは行くしかないなと思い、4/26にチケットをゲット。けれど。。なんとこの日は、今では知らない人はいないブッダインフルの発表日だったのでした。

メディアの扱いは、急激に増殖していって、一週間もたったところには、ブッダインフル=生物兵器的なパーセプションを生み出していった。生物兵器を取り扱うような出で立ちの検疫官、WHOの聞いているだけで恐怖感をあおる、パンデミックという言葉と日に日に警戒レベルを上げるフェイス。

こんな状況下では、おのずと「行くな、行くな」と聞こえてくる、けれど自分で調べてみると、アメリカではそこまで大騒ぎしていないし、弱毒性であり、外務省の危険レベルマップでも、「メキシコの、それも発生した地区は警戒して」というものだったけれど、アメリカは全く危険を示さないものだった。今度はこれだけ見ると、「行かないのはアポーだ」と聞こえてくる。

変にメディアとか、ジャーナリズムをかじっている私は、この両端の視点で、このブッダインフルを見つつ、モントレーに行く?行かない?を、ピュアな少女が花占いをするかのように毎日、考えてた。実際、良し悪しは社会の風潮が決めるものだし、その風潮を作るメディアをかじりつくように見ているのは、家庭を守る主婦だ。そして、時折、日本主婦は差別的な考えをしたりする。

やっぱ行かないほうがいいかも、いやでも7年間行きたくても行けずに、やっといける機会があるのに。という思いに挟まれつつ、思い立つ。これは、何かの思し召しなのではないか、そして勝手に思う、こりゃブッダの思し召しだ。と。日本。メディア。家庭。文化。あえてモントレー行くことによって、見えてくるものがあるかもしれない。


ブッダになれるかな?


「なんで?こんな時期にわざわざ行くの(怒)!」と、ブッダインフルのニュースを見つつ「俺、アメリカ行ってくるは」とさわやかに母親に伝えた後に言われた。当然の反応だった。「ブッダの思し召し」とは、間違っても言えない状況だった。その後、一週間ぐらい出国する前日まで、チクリチクリと刺されつつ、最後には「社会的」な切り口から、攻めて来る母親にちょっと感心すらした。結局、妥協案でマスクを極力して、うがいをして、薬を持っていくというところで何とかご納得。そして、いざアメリカへ。

アメリカについてみると、案の定だれもブッダのブの字も心配していないかのような、アメリカの人々。ビーチを歩いていても、日本ではホテルで拒否されてたメキシコ人も普通に歩いているし、にこやかにジョギングしていたりする。ちなみに、レストランのキッチン裏では、ほぼ、どこでも彼らを見つけられると思う。そして、いつの間にか私も、ブッダのブの字も忘れて、リラーックス。渡米前に考えていたことは全く考えなかった、というかそんなこと考えたくなかった。

そんなこんなで、あっという間に、4日間は過ぎて、帰国。やはり、空気が循環する飛行機は怖かったので、終始マスクを着用することを決意。行きの飛行機もそうだったのだけれど、私が購入したイソジン付マスクは、その抗菌性もさながら、微妙な香を放ってくれたため、禁煙の役割も果たしてくれた。そして、日本に到着、検疫官キター。

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事前に書いていた健康チェックを検疫官に渡し、続けてサーモグラフィーで有無を言わさずに、覗き込まれていく。こんな文脈でこんなことを書いている私ですが、かなりチェリーボーイなので、ちょっぴり胸元を両手で隠してみたりしてみた。そして、チェックも終わり、渡された証明書がこれ。

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新型インフルエンザ発生国って。発生したのはメキシコだけじゃなかったのか?後ろのほうで、アメリカ人が「They are nasty about this(日本人は、新型インフルに対して、いやらしい(差別的だ)」と聞こえてきて、ちょっと納得してしまった。ホテルで拒否されたメキシコ人の話は、国境を超え、メキシコで相当話題になったらしい。確かに、アメリカと日本の温度感は、感じずにはいられなかった。

その後、したたかに空港でアメリカ帰りを示すタグをバックから外して、無事に帰宅。母親には生物兵器を見るような目で見られ、弟には「ブダインフルが帰ってきた」と言われる。まぁしょうがないし、ある程度覚悟していたことだけれど、無言で体温計を渡されときは、ちょっとムカッときてしまった。そして、体温計のピピピッという音を聞いて、ちょっと恐る恐る見てみる。本当に気づかないうちに、ブッダになってしまっていたらどうしよう。


35.7°


・・・・・なんだ。この生娘のような体温は!!

その後、一週間は念のために、体温を取り続けたけれど、自分が低血圧ということ以外は、何も証明してくれず。ちょうど一週間がたったとき、県から大丈夫ですか?という内容の手紙が届いた。あんたそりゃ遅すぎるだろ。県によっても、毎日電話をかけてくるところもあれば、潜伏期間が過ぎた後に手紙をよこしてくる県もあるのだなと、温度感の違いをここでも感じる。

さて、35.7°だし、ブッダになる兆しを自分の中に感じられなかったので、週明けから出社をした。会社規定とはいえ、一週間もお休みをいただいてしまったので、感謝を込めお土産を・・・。

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次の日には、この付箋は外されて、きれいに整頓されて箱に収められていたけれど。

さて、ブッダにはなれなかったし、その後、ある程度期間をおいてこの記事を書いているわけだけれど。感じたことは、アメリカはしなさすぎだし、日本はしすぎだということ。その理由を考えていくと、本当に色々な社会的な事情が追い重なってくる。例えば、日本のように報道して、仮にメキシコ人への差別的な目を植えつけてしまったら、アメリカの経済は成り立たなくなってしまうと思う。一方で、アメリカのようにしなさすぎれば、人口が密集して、ひどい満員電車とかがある日本では、車社会のアメリカのそれとは比べものにならないほど、感染と被害が拡大していくと思う。で。個人としてどう立ち振る舞うべきなのか、個人的には郷に入れば郷に従うべきだと思う。今回に限って言うと、郷に従わなかった訳だけれど、従わない時は、個人で情報を収集し、判断し、責任を取る。まぁ。当たり前のところに落ち着いてしまいましたが、無理やり纏めると。

ブッダの思し召し

郷に入れば、(何か無い限り)郷に従っといたほうがいいよ。

*この記事は、フィクションかもしれません。